東京地方裁判所 昭和59年(ワ)12326号 判決 1986年12月16日
原告
宮川淑
原告
氏家義一
原告
杉浦哲
被告
国
右代表者法務大臣
遠藤要
右指定代理人
田中信義外三名
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告らそれぞれに対し、三一万円及びこれに対する昭和五九年一一月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
(原告ら)
1 原告らは、いずれも、日本国民であり、昭和五八年一二月一八日施行の衆議院議員選挙(以下「本件総選挙」という。)に際し、昭和六一年法律第六七号による改正前の公職選挙法一三条一項、同法別表第一、同法附則七項から九項までの選挙区及び議員定数の定め(以下「本件議員定数配分規定」ともいう。)にいう千葉県第四区において選挙権を行使した。
(本件議員定数配分規定の違憲性)
2(一) 憲法一四条、一五条一項、三項、四四条但し書は、国会議員の選挙における選挙人の投票価値の平等を要求しているから、居住場所を異にすることによつて投票価値に差別を設けることは、これらの憲法の条項に違反する。
(二) 昭和五五年の国勢調査の結果によると、千葉県第四区の人口は一四九万九二九〇人であり、同選挙区で選出すべき議員数は三人であるから、議員一人当たりの人口は四九万九七六三人であり、他方、兵庫県第五区の人口は三三万〇一五二人であり、同選挙区で選出すべき議員数は三人であるから、議員一人当たりの人口は一一万〇〇五一人である。したがつて、本件議員定数配分規定においては、千葉県第四区は兵庫県第五区の四・五四分の一の投票価値しか有していないことになる。また、昭和五八年九月二日現在の選挙人名簿登録者総数をもつて両選挙区を比較すると、千葉県第四区の議員一人当たりの選挙人数は三五万九四九二人、兵庫県第五区のそれは八万二〇五一人であつて、千葉県第四区は兵庫県第五区の四・三八分の一の投票価値しか有していないこととなる。
(三) さらに、昭和五五年の国勢調査による人口でみると、衆議院議員一人当たり人口の全国平均は二二万九〇八一人で、これを基本として一人が実質的に二票を持つことにならない投票価値の較差の範囲、すなわち、右平均人口から上下各三分の一の限度(上限三〇万五四四一人、下限一五万二七二一人)を越える選挙区は四五もあり、これは全国の選挙区数一三〇の三四・六パーセントに当たる。
(四) また、千葉県第四区からみて、人口は少ないのに逆に議員定数が多いという、いわゆる逆転区は六八にも達し、これは全選挙区の五二・三パーセントに当たる。
(五) 以上のように、昭和五八年一二月一八日当時における本件議員定数配分規定には、合理的とは認められない著しい較差が存在し、右は、憲法一四条一項、三項、四四条但し書に違反するものである。
(立法不作為の違法)
3(一) 国会議員及び内閣は、本件議員定数配分規定について、その前回の改正(昭和五〇年七月一五日公布・昭和五一年一二月五日施行)から昭和五八年一二月一八日までの間に、国会に対して改正のための法律案の発議・提出を行なわなかつた。
(二) 国会議員及び内閣(代表者内閣総理大臣)は、法律案を発議・提出するかどうかについて、無制約の自由をもつものではなく、憲法一三条、九九条の趣旨からも国民の選挙権のような重要な権利に関し、違憲の法律によつて右権利が侵害されているときに、右改正のための法律案を発議及び提出しないときは、個々の国民に対する関係で違法行為となる。
(三) 本件議員定数配分規定は、前回改正法の施行の日から約七年、また同改正法の公布の日から約八年を経過しているが、この間に二回の国勢調査が行なわれていること、本件議員定数配分規定に関し、昭和五一年四月一四日の最高裁判決以来、再三にわたり裁判所の判断が示され、昭和五八年一一月七日の最高裁判決(民集三七巻三号三四五頁)は昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員選挙について、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差(以下「最大較差」という。)一対三・九四を憲法の選挙権の平等に反する程度に至つていたものと判断したこと、昭和五五年六月に行われた総選挙当時から本件総選挙当時まで投票価値の較差が拡大の一途をたどつていたことが毎年九月現在の選挙人名簿登録者数からも明らかであつたこと、これらからすれば、本件議員定数配分規定の違憲性は、二義を許さず明白で、しかもこのことが立法機関にとつて顕著であり、かつ、その改正のための合理的期間を既に経過していたものである。
国会議員及び内閣は、右のような状況の下において、本件定数配分規定の改正の法律案を発議及び提出しなかつたものであるから、右の不作為は、原告らに対する関係で違法行為を構成する。
(解散権濫用の違法)
4(一) 内閣は、昭和五八年一一月二八日、衆議院を解散し、その結果、本件総選挙が施行された。
(二) 内閣の衆議院解散権は、何らの法的制約を受けないものと解すべきものではなく、違憲である本件議員定数配分規定が憲法九八条により効力を有しないものである以上、内閣が衆議院を解散し、右定数配分規定に基づく総選挙を行なうことはできないというべきであつて、右の改正をしないまま衆議院を解散することは、公務員としての憲法尊重擁護義務(憲法九九条)に違反し、解散権を濫用するものとして違法である。
(法益侵害)
5 原告らは、国会議員及び内閣が前記3のとおり法律案を発議及び提出せず、また内閣が前記4のとおり衆議院を解散したことにより、本件総選挙において不平等な選挙権の行使を余儀なくされ、選挙権を侵害された。
(故意・過失)
6 国会議員及び内閣の前記3の立法不作為及び前記4の衆議院の解散行為は、被告の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によりなしたものである。
したがつて、被告は、原告らに対し、国家賠償法一条一項の規定に基づき、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。
(原告らに生じた損害)
7 原告らは、衆議院議員選挙の投票価値が全国一低い千葉県第四区の有権者であるうえ、昭和五六年に結成した市民団体「千葉をかえよう!県民の会」の主要メンバーとして、これまで投票価値の平等実現のための種々の活動を行なつてきたものであつて、前記のとおり本件総選挙において不平等な選挙権を行使することを余儀なくされたことにより精神的苦痛を被つた。これを金銭によつて慰謝するには各自三一万円が相当である。
(結論)
8 よつて、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、損害賠償としてそれぞれ三一万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五九年一一月八日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
1 請求原因1の事実は認める。
2 請求原因2について
(一) (一)の主張は争う。
憲法が採用する平等選挙制は異なる選挙区間における投票価値の平等を要求するものではない。国会議員の選挙制度の具体的決定は、国会の広範な裁量に委ねられているのであり、国会がその具体的決定にあたり異なる選挙区間における投票価値の平等、すなわち人口比例主義をどの程度まで考慮するかはもつぱら国会が独自に決定すべき立法政策の問題である。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)の事実は認める。
(四) (四)の事実は否認する。いわゆる逆転区の数は六九、その全国区数に対する割合は五三・一パーセントである。
(五) (五)の主張は争う。
本件議員定数配分規定の合理性についての判断基準としては、全国の総人口を総議員数で除した議員一人当たりの全国平均人口数と各選挙区別の議員一人当たりの人口数の比率によるべきであつて、本件選挙当時における千葉県第四区の議員一人当たりの人口数は、右全国平均人口数の二・一九倍にすぎず、国会の広範な裁量権を考慮すると、右の程度をもつてしては到底違憲状態に達しているものとはいえない。
3 請求原因3について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の主張は争う。
国会議員の立法行為の内容にわたる実体的側面に係る活動は、本質的に議員各自の政治的判断及び国民の政治的評価に委ねられるべき領域に属するものである。国会議員は、立法に関しては、当該立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず、あえて当該立法を行なうというがごとき、極めて例外的な場合を除き、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うことはない。そして、違憲であることが明白な法律であつて、合憲な内容への改正が不可避なものであつても、国会はどのような内容の改正を行なうかについて、なお広範な裁量権を有しているのであり、その改正には、法案の検討、国会審議等に相当な期間を要するものであるから、右相当な期間が経過し、かつ、合理的な理由がないのに、改正されなかつた場合、国会議員の不作為が初めて国家賠償法上違法の評価を受けるものというべきである。また、内閣は、行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負うものとされているが、個別の国民に対する関係において法的義務を負うものではないから、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けることはないものである。
(三) (三)の事実のうち、本件定数配分規定は前回改正法の施行の日から約七年、また同改正法公布の日から八年を経過していること、昭和五八年一一月七日の最高裁判決(民集三七巻三号三四五頁)が昭和五五年六月二二日の衆議院議員選挙について最大較差一対三・九四を憲法の選挙権の平等に反する程度に至つていたものと判断したことは認め、その余は争う。
国会議員が本件定数配分規定による最大較差一対三・九四について違憲状態にあることを認識し、あるいは認識し得たのは昭和五八年一一月七日の前記最高裁判決によつてである。右判決は、本件定数配分規定が昭和五五年六月二二日に行われた選挙当時、違憲状態にあつたとしたものの、いまだその是正のための合理的期間は経過していないから、憲法に違反するものと断定することはできない、と判示したものであつて、右是正のために許される合理的期間は、人口異動等諸般の事情を考慮する必要があることも勘案すると、右最高裁判決当時においても、本件議員定数配分規定が二義を許さない程度に違憲であることが明白であり、そのことが国会にとつて顕著であつたということはできないし、本件議員定数配分規定の改正については、高度の政治的、技術的要素を含む事項であるところ、右最高裁判決からわずか二一日で衆議院が解散となり是正のための審議は不能となつたものであるから、本件総選挙当時においては改正のための法案の検討や国会審議等に必要とされる期間を経過していたものとはいえない。
4 請求原因4について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の主張は争う。
衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であるから、右解散行為についてその法律上の有効無効を審査することは、司法裁判所の権限の外にあるものと解すべきであり、このことは衆議院の解散の効力が訴訟の前提問題として主張されている場合も同様である。
5 請求原因5の主張は争う。
6 請求原因6の事実のうち、国会議員及び内閣の構成員がいずれも公権力の行使に当たる公務員であることは認め、その余は否認する。
国会議員及び内閣が本件定数配分規定を憲法に違反するものと認識し、又は認識し得たのは昭和五八年一一月七日に言渡された前記最高裁判決によつてであり、同日から本件総選挙の施行まではわずか約四〇日余であつたこと、右最高裁判決の言渡前後の国会の審議状況は、いわゆるロッキード丸紅ルート刑事判決(東京地裁・昭和五八年一〇月一二日言渡)を契機として、著しく混乱しており、右四〇日余の期間内に本件議員定数配分規定を改正することは不可能であつたこと、国会議員及び内閣が右最高裁判決後、国会において右配分規定の是正のためのさまざまの努力を行なつていたこと、これらのことからすれば、国会議員及び内閣に故意、過失があつたとはいえないものである。
7 請求原因7の事実のうち、原告らがこれまで投票価値の平等実現のための種々の活動を行なつてきたことは不知、その余は否認する。
選挙権は、権利とはいつても、国の機関の権能とでもいうべきものであるから、選挙権の侵害については個人的精神的苦痛になじみにくいし、国が国の機関に対し金銭賠償をするということも是認しがたいことである。また、原告らの主張する投票価値の平等実現のための活動は、千葉県第四区の選挙人の立場で行なわれたもので、個人の具体的利益を侵害された者としての立場で行なわれたものではなく、本訴を提起した目的も裁判を通じて本件議員定数配分規定の不平等の是正促進を図ることにあるものであることからすれば、原告らが被つたと主張する精神的苦痛は、憲法の採用する代表民主性の下における選挙制度のあり方に対する危機感ないし憂慮の念、すなわち、公憤の域を出ないものであつて、個人的、具体的なものとはいえないから、慰謝料によつて除去、軽減されるにふさわしい性質のものではない。さらに、本件議員定数配分規定が違憲とされた場合、原告らの選挙権のみに違憲の瑕疵があるというのではなく、選挙人たる国民の全選挙権に違憲の瑕疵があるということになるから、原告らのみが特別に個人的、具体的な精神的苦痛を被つたとはいいがたく、原告らに慰謝料が認められるとすれば、選挙人である国民全員に対して慰謝料が認められなければならないという不当な結果となる。
したがつて、いずれにしても、原告らが慰謝料の支払を必要とする精神的苦痛を被つたとはいえない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二そこで、請求原因2の本件議員定数配分規定が本件総選挙当時、違憲であつたか否かについて判断する。
1 憲法一四条一項の規定は、国会を構成する衆議院及び参議院の議員を選挙する国民固有の権利につき、選挙人資格における差別の禁止にとどまらず、選挙権の内容の平等、すなわち議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力(投票価値)の平等を要求するものと解すべきである。しかし、また、憲法は、国会の両議院の議員を選挙する制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのであるから、投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のための唯一、絶対の基準となるものではなく、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものである。それゆえ、国会が定めた具体的な選挙制度の仕組みの下において投票価値の不平等が存する場合に、それが憲法上の投票価値の平等の要求に反することとなるかどうかは、右不平等が国会の裁量権の行使として合理性を是認し得る範囲内にとどまるものであるかどうかによつて決するほかない。
もつとも、制定又は改正の当時合憲であつた議員定数配分規定の下における選挙区間の議員一人当たりの選挙人数又は人口の較差がその後の人口の異動によつて拡大し、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つた場合には、そのことによつて直ちに当該議員定数配分規定が憲法に違反するとすべきものではなく、憲法上要求される合理的期間内の是正が行われないとき初めて右規定が憲法に違反するものというべきである(最高裁判所昭和五一年四月一四日大法廷判決及び昭和五八年一一月七日大法廷判決参照)。
2 これを本件についてみるに、<証拠>によれば、本件総選挙が依拠した議員定数配分規定は、昭和五〇年法律第六三号(以下「昭和五〇年改正法」という。)による改正に係るものであるが、改正の結果昭和四五年一〇月実施の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は最大一対四・八三から一対二・九二(以下、較差に関する数値は、すべて概数である。)に縮小したところ、昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員選挙当時の選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差は最大一対三・九四に達したこと、更に本件総選挙当時においては、千葉県第四区の議員一人当たりの選挙人数は三六万〇八九〇人、兵庫県第五区のそれは八万一八六〇人であり、したがつて右較差が最大四・四〇となつたこと、が認められ、右認定に反する証拠はない。
してみると、右較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、選挙区の選挙人数、又は人口と配分議員数との比率の平等が最も重要、かつ、基本的な基準とされる衆議院議員の選挙制度の下で、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしても、なお、一般に合理性を有するものとは考えられない程度に達していたものというべきであり、これを正当化すべき特別の理由を見出すこともできないから、本件総選挙当時において、選挙区間に存した投票価値の不平等状態は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたものというべきである。
そうして昭和五〇年改正法による改正の結果、従前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等による違憲状態は、一応解消されたものということができるけれども、その後の昭和五五年六月施行の衆議院議員選挙当時における前記一対三・九四の較差は選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたものであり、右選挙時を基準として、ある程度以前の時期において右較差の拡大による投票価値の不平等状態が選挙権の平等の要求に反する程度に達したものというべきであり、のみならず右選挙当時から本件総選挙当時まで右較差が漸次拡大の一途をたどつていたことも公知の事実である。しかるに、右の投票価値の不平等状態が違憲の程度に達した時期から本件総選挙までの間に何ら較差の是正が行われなかつたのであるから、投票価値の不平等状態が違憲の程度に達したかどうかの判定が国会の裁量権の行使として許容される範囲内のものであるかどうかという困難な点にかかるものである等のことを考慮しても、なお、憲法上要求される合理的期間内の是正が行われなかつたものと評価せざるを得ないものであり、本件議員定数配分規定は、本件総選挙当時、憲法の選挙権の平等の要求に反し、違憲と断定するほかはない(最高裁判所昭和六〇年七月一七日大法廷判決参照)。
被告は、本件議員定数配分規定の合理性の判断基準としては、全国の総人口を総議員数で除した議員一人当たりの全国平均人口数と各選挙区別の議員一人当たりの人口数の比率によるべきであると主張するが、当裁判所は、右主張を採用しない。
三次に、請求原因3の立法不作為の違法について判断する。
1 国会議員及び内閣が法律案の発議・提出の権限を有すること並びに国会議員及び内閣が昭和五〇年七月一五日法律第六三号により改正された本件定数配分規定について、昭和五八年一二月一八日までの間、その改正のための法律案の発議・提出を行なわなかつたことはいずれも当事者間に争いがない。
2 そこで、国会議員及び内閣が右の改正案の発議・提出を行なわなかつた不作為が、国家賠償法一条一項にいう違法な行為にあたるか否かについて検討する。
(一) 国会議員及び内閣の立法不作為が国家賠償法一条一項の適用上、違法となるかどうかは、国会議員及び内閣の立法不作為過程における行動が個別の国民に対してその職務上の義務に違背したか否かの問題である。
そこで、国会議員及び内閣が立法不作為に関し、個別の国民に対する関係で、どのような法的義務を負うかをみるに、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国会議員及び内閣は、国民の間に存する多元的な意見及びもろもろの利益を立法過程に公正に反映させ、自由な討論を通してこれを調整し、究極的には多数決原理により、統一的な国家意思を形成すべき役割を担うものである。そうして、国会議員及び内閣は、多様な国民の意向をくみつつ、国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのであつて、議会制民主主義が適正、かつ、効果的に機能することを期するためにも、国会議員及び内閣の立法不作為過程における行動で、その内容にわたる実体的側面に係るものは、これを議員各自及び内閣の政治的判断に任せ、その当否は終局的に国民の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねるのを相当とする。
このように、国会議員及び内閣の立法不作為については、本質的に政治的なものであつて、その性質上法的評価に親しまず、特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点から、あるべき立法行為を措定して、その不作為の適否を法的に評価するということは、原則的には許されないものといわざるを得ない。
したがつて、国会議員及び内閣は、立法の不作為については、原則として、国民全体に対する関係で政治責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきである。
しかしながら、ある法律の内容が憲法の一義的な文言に違反することが明白であり、かつ、右違憲の法律の改正案の発議・提出をするのに通常必要と考えられる相当期間を経過したにもかかわらず、国会議員及び内閣が、あえて右改正案の発議・提出を行なわないというような例外的な場合には、国会議員及び内閣の右不作為は個別の国民の権利に対応した関係での職務上の法的義務に違反するものとして、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決参照)。
(二) そこで、まず本件議員定数配分規定の違憲性が明白であるか否かについて考察する。
本件議員定数配分規定が昭和五五年六月施行の総選挙当時には既に選挙権の平等の要求に反する違憲状態に達するに至つており、さらに昭和五八年一二月一八日施行の本件総選挙当時には憲法上要求される合理的期間内の是正が行なわれなかつたため憲法に違反していたものであることは、前記二2で説示したとおりである。
そうして、本件議員定数配分規定は、昭和五〇年改正法による改正に係るものであり、右改正の結果、従前の議員定数配分規定の下における違憲状態は一応解消され、合憲のものとなつたが、その後の人口の異動という漸次的事情の変化により、昭和五五年六月施行の衆議院議員選挙当時においては、議員一人当たりの選挙人数の較差が最大一対三・九四となり、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達し、さらに右較差が漸次拡大の一途をたどるに至つたことは前記二2でみたとおりである。
このように、改正の当初は合憲であつた本件議員定数配分規定が、その後の漸次的な事情の変化によつて憲法違反の瑕疵を帯びるに至つた場合には、いつの時点において憲法の選挙権の平等の要求に反する程度となり、さらに憲法に違反するに至つたものと断ずべきかは、困難が伴う問題である。
この点に関し、最高裁判所昭和五一年四月一四日の大法廷判決(民集三〇巻三号二二三頁)は、昭和四七年一二月一〇日施行の衆議院議員選挙について、議員一人当たりの選挙人数の最大較差が一対四・九九であつたとし、右選挙が依拠した議員定数配分規定(昭和五〇年法律第六三号による改正前のもの)は右選挙当時、憲法に違反していたものと判示したが、右違憲となる場合の議員一人当りの選挙人数又は人口の較差については具体的数値による基準が示されなかつたこと、さらに、最高裁判所昭和五八年一一月七日の大法廷判決(民集三七巻三号三四五頁)は、本件議員定数配分規定が昭和五五年六月施行の衆議院議員選挙当時には、既に憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたものではあるけれども、憲法上要求されている合理的期間内における是正がされなかつたものと断定することは困難であるとして、本件議員定数配分規定を憲法に違反するものと断定することはできない、と判示したことは当裁判所に顕著な事実である。
したがつて、最高裁判所が法令の憲法適合性を審査する権限を有する終審裁判所であることからすれば、右の昭和五八年一一月七日の時点において、本件議員定数配分規定が憲法の選挙権の平等の要求に反するものとして、憲法の一義的な文言に違反することが明白となつたものというべきである。
(三) 次に、進んで、本件議員定数配分規定についての改正案を発議・提出するのに通常必要と考えられる相当期間を経過したか否かについて考察する。
右(二)で述べたように、本件議員定数配分規定が憲法の文言に違反することが明白となつた場合であつても、国会議員及び内閣がその是正のための改正案の発議・提出を行なうに当たつては、高度の政治的及び専門的・技術的判断を要するものであるから、それまでの間に右是正について種々の検討が行なわれていたであろうことを考慮に入れても、なお違憲性が明白になつた後、直ちに右改正案の発議・提出を行なうことは必ずしも期待し難いものというべきである。
そうして、内閣が昭和五八年一一月二八日に衆議院を解散したことは当事者間に争いがなく、同年一二月一八日に本件総選挙が施行されたことは前記一で認定したとおりであるから、前記昭和五八年一一月七日の最高裁判所大法廷の判決から衆議院の解散までは二一日、総選挙の施行までは四一日の期間しかなかつたものであるから、国会議員及び内閣が各期間内に右改正案の発議・提出を行なうことは困難であるというべきである。
そうすると、右の二一日ないし四一日をもつて、右改正案の発議・提出をするのに通常必要と考えられる相当期間が経過したものとすることはできない。
(四) してみると、国会議員及び内閣が本件総選挙までに、本件議員定数配分規定を改正する法律案の発議・提出を行なわなかつた不作為は、いまだ国家賠償法一条一項にいう違法行為に当たるものとすることはできないというべきである。
四進んで、請求原因4の解散権行使の違法の有無について判断する。
1 内閣が昭和五八年一一月二八日、衆議院を解散し、その結果本件総選挙が施行されたことは、当事者間に争いがない。
2 原告らは、内閣が違憲である本件議員定数配分規定について、法改正しないままで衆議院を解散し、総選挙を施行したことは、解散権の濫用にあたり違法な行為であると主張する。
衆議院の解散は、直接行政府と立法府の基本的関係に関する高度に政治性のある国家行為であり、憲法上、このような行為の当否については、国民に対して政治的責任を負う内閣の判断に委され、最終的には主権者である国民の政治的判断に委ねられているものと解すべきであるから、その法律上の有効・無効については、裁判所の審査権限が及ばないものと解すべきである(最高裁判所昭和三五年六月八日大法廷判決、民集一四巻七号一二〇六頁参照)。
本件においては、衆議院の解散の効力自体を審査するものではなく、内閣がした衆議院の解散行為が国家賠償法の適用上、違法であるか否かの審査であり、裁判所が右の審査をしても、衆議院の解散の効力を直接判断するものではないから、右審査が妨げられないようにもみえる。
けれども、右に述べた衆議院の解散という高度に政治性のある国家行為の当否は、裁判所によつて判定されるべきではないという基本的な考え方からすれば、裁判所は、内閣がした衆議院の解散行為が国家賠償法の適用上、違法であるか否かについても審査権限を有しないものと解せざるを得ない。
したがつて、裁判所は、原告らが主張する内閣がした衆議院の解散行為について、解散権の濫用として違法行為であるか否かの判断はできないから、これを違法なものとすることはできない。
五以上の次第で、国会議員及び内閣の法律案の発議・提出の不作為並びに内閣の衆議院の解散行為は、違法とすることができないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九三条一項本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官菅原晴郎 裁判官一宮なほみ 裁判官加藤正男)